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機動戦士ガンダムブログ@ファーストガンダムをしゃぶりつくす!!

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デギン・ソド・ザビ
デギン・ソド・ザビ
(Prince Degwin Sodo Zabi,U.C.0017年~0079年12月30日)

(声:テレビ版永井一郎、映画I藤本譲、映画III・特別編I/III柴田秀勝)

TV版登場話数:第10話~12話・37話・38話(シャアの回想)・40話~42話

ジオン公国公王でギレンらの父。

ジオン・ズム・ダイクンの死後ジオン共和国に公国制を敷き、独裁を強めたが、
その後実質的に隠居した状態になっていた。

乗艦はグワジン級戦艦1番鑑グレート・デギン。 

彼にはギレン・ザビ総帥(大将、長男)、サスロ・ザビ(次男/三男)、
ドズル・ザビ中将(三男/次男)、キシリア・ザビ少将(長女)、
ガルマ・ザビ大佐(四男)の5人の子がいる
(テレビ版の準備稿ではミハル・ザビという娘もいた)。

なお、サスロ・ザビ、ナルス・ザビに関しては一年戦争前に死亡しているため
『機動戦士ガンダム』には登場しない。

かつてはジオン・ズム・ダイクンと盟友関係にあり、
0058年のジオン共和国宣言時には地球連邦軍駐留部隊の切り崩しに尽力した。

デギンの軍事路線はダイクンにとって認め難いことだったが、
連邦へ対抗するために容認せざるを得なかった。

0068年にダイクンは急死。
これはデギンとギレンによる暗殺とするのが一般的である。

ジオン共和国初代首相であった病床のダイクンにより次期首相に指名され
(これには、この先起こるであろうダイクン派とデギン派の抗争を避ける為に、
後継者にデギンを指名したと言う説と、
「自分を暗殺しようとしたのはデギンだ」と教えようとしたダイクンの行動を
デギンが巧妙に利用したとの説がある)
2代目首相となると、
ダイクン派(旧ジオン派)を粛清して全権を掌握し、0069年8月15日に公国宣言を行い、
ジオン公国初代公王に就任した。

その後、長男ギレンは軍事独裁路線を推し進めるが、デギンはこれをよしと思わなかった。

そのためギレンにとって父デギンは寧ろ邪魔な存在になっていく。

デギンは上記のような経緯から猛々しい性格のギレンやキシリア、ドズルを疎み、
素直で優しい四男ガルマを溺愛していたが、ジオン独立戦争が予想外の長期にわたり、
ガルマは戦死してしまう。

デギンはガルマの密葬を望んだが、ギレンは国葬として戦意高揚に利用し、
両者は対立を深めていく。

これ以降、デギンはギレンの独裁を抑えるため、ギレンとキシリアの政治的対立を防ぐために、
首相のダルシア・バハロに命じ、密かに連邦との講和を図った。

だが、タイミングずれの和平に出向く老いた父へ見切りをつけたギレンは、
グレート・デギンの存在を承知の上でソーラ・レイの発射コースをゲル・ドルバ照準に最終設定する。

宇宙世紀0079年12月30日作戦時間21:05、
指示通りゲル・ドルバ照準で発射されたソーラ・レイの直撃を受け、
公王デギンは敵将レビルと共に光の渦の中に呑み込まれて最期を遂げた。

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